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新たな旅立ち「結婚」

2年間の同棲時代の思い出の地、鴫野のアパートから実家の直ぐ近くの文化住宅に移転した。6疊、4畳半2疊の台所そして一番奥がトイレと廊下があり、3畳位の広さの庭がある住まいであった。

その年の11月15日天王寺の料亭「大野屋」で結婚の披露宴をした。仲人はO営業部長にお願いして、
しかしY社長にはお知らせしなかったのです。
というのは、「社長には言わなくていい」と営業部長に言われていたからです。何でやろう???
もし社長にお知らせしたら、俺も出席する!と言われたに違いない。
O営業部長は、これまで何十人もの仲人を引き受けてこられ記録更新をされていた事を考えると何となくうなずける。

しかし社長は私の結婚ついてはご存知でした。当日祝電もいただいた。
1週間程経った頃、私は社長室に呼ばれて、こう言われました。
「中村君、おめでとう。君にお祝いを渡そうと思って、いつも上着の内ポケットに祝儀袋を入れていたんや。」
と言って、しわくちゃになった祝儀袋を手渡されました。

当時のM社の社員数は約500名ほどいたのですが、23歳に成ったばかりの若い社員に対して、社長から直接結婚のお祝いを頂いたと言う話は聞いたことがない。

それもその筈、大半の社員は独身者だから、社員が結婚するたびに社長がポケットマネーを出すわけにはいかないだろう。
そこで中身が気になると思うので発表します。

そのご祝儀袋には、1万円が入っていたのです。
当時の給料が3万円の頃です。
結婚当時は文化住宅を借りていましたので家賃の3ヶ月分くらいだったと思います。大変有難い!

それに、これは課長以上の人の慶事に贈るのだがと言われて、複製ではあるが、立派な額に入った、ミレーの「晩鐘」をいただいたのです。何事にも「感謝」を忘れないようにね・・・とのコメントと共に・・・。

数十年経った今でも「感謝」を忘れないように、私の部屋の壁には「晩鐘」が掛かっている。

◆ブログ:晩鐘

Y社長は経営者として仕事には厳しい方で、一見取っ付きにくそうに見えるが、私にとって社会人になって初めて出会った師であり、人を思いやる優しい方でした。

そして新生活が始まったのです。
もう、うしろめたい同棲生活と二股交際の悩みも解消して、2人の幸せな新らしい生活が始まった。

それから2ヶ月後、私が営業にでているときに会社から連絡が入った。
男の子が生まれました。おめでとう。
仕事を終えて夕方、入院先の聖ヴァルナバ病院に駆けつけた。

長男が生まれたのは昭和42年1月11日午前11時42分、入った部屋が11号室だった。その日の夜は雪のちらつく寒い日だった。



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