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好きになれば、上手くも成れるし、強くもなれる!

勉強よりも、相撲に夢中!

好きになると、絵を書いているときは時間の経つのも気がつかないくらい絵に集中していた。
これを無我夢中というのだろう。
疎開先の家には、道路側に明るい3畳くらいの部屋があった。そこが一人になれる唯一の部屋だったのです。
母は、一家を支えるために働きに出かけ、旅館の仲居や日雇いの道路工事の仕事にも出かけて行ったと聞いている。その頃姉2人は小学生、兄は中学生で、一番上の兄は、アルバイトをしながら宮津の高校に通っていたと記憶している。兄は勉強も良くでき、医者になるのが夢だったようだ。何故かといえば、本家が医者だったからです。

思い出すのが黒マントを着た兄の姿。良く河原でオーソレミヨの歌を近所に憚ることなく大声で歌っている兄の姿を微かに覚えている。疎開してきて間もない頃のことでした。

こんな格好です。歴史(マントを着た学生) 47c78d6e002_edited-1のコピー


私が絵を描いている時は、親は働きに、兄姉は学校でいない時が多かった。
その間は叔母と2人でしたが、絵に夢中になっている私をやさしく見守ってくれました。

小学校に入学前の身体検査に母と2人で行った。その時の身長が125cmであった。同学年では大きかった。
小学校に入ると給食に脱脂粉乳のミルクがでる、身体検査のあと、脱脂粉乳のミルクを1口飲んだら吐き気をもよおした。それ以来、脱脂粉乳は愚か、新鮮な牛乳でさえも飲めないようにインプットされてしまった。
大人になってからも、コーヒー牛乳以外の牛乳は飲んでいない。
食べず嫌いも大人になってもあった。
疎開先では、魚は豊富にあったので魚は好きでしたが、食べるものに四苦八苦している時代だったので、肉なんかは口にしたことがない。ただ私の記憶の中で微かにあるのは、ご近所から頂いた狸が首を吊った状態で我が家の居間に吊るしてあったのです。夜に便所に行くには、狸の吊るしてある居間を通って行かなくてはならない。子供心に怖かったことを覚えている。でも狸汁を食べた記憶がない。

そんなこともあって、大阪で始めて口にしたのがクジラの肉でした。肉に対する拒否反応があったのか、それからと言うもの、肉は嫌いだ!という食習慣が始まったのです。

小学6年生の頃には、身長が160cmを超えていた。
当時は栃若時代と言われ相撲は大人気で、休みの時間には、体育館のバスケット用に描かれた円を土俵代わりにして、相撲を楽しんだのです。
四つに組んで、互いのベルト(廻しのつもり)をつかみ、投げようとすると、ベルト通しがプツンと切れる。
その度に、仕事で疲れて帰ってきた母に頼んで直してもらう毎日だった。

あのころ>栃若時代 千秋楽に

私は若乃花が大好きだったので、若乃花の得意技の「ゆりも戻し」が得意だった。同年の誰よりも強かったと思う。
ある日、船着場の浜辺で、町の青年団のお兄さんと相撲を取ったことを覚えている。
体格は6年生といっても引けをとらない。周りには十数名の見物人のいる前で、得意技のゆり戻し一発で砂の上に叩きつけたのです。それだけ腕力には自信があったのです。
その頃、テレビ放送の始まった頃で、相撲の実況を見られる唯一場所が町の郵便局だったのです。
勿論14インチの白黒テレビです。

好きになれば、上手くも成れるし、強くも成れる!


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