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朴槿恵嬢と安倍氏の「縁」

竹島問題、慰安婦問題…懸案山積の日韓 朴槿恵次期大統領の対日観は?
産経新聞 12月23日(日)10時44分配信

◇◇◇記者会見する韓国大統領選 朴槿恵氏

 まもなく誕生する日本の安倍晋三政権と来春スタートする韓国の朴槿恵政権。日韓の新リーダーには、出自や経歴で明らかな保守本流の理念と時代を切り開こうとの強い意志ーという共通項があるようだ。両国間には前政権でこじれてしまった竹島問題と慰安婦問題、さらに双方のナショナリズムという懸案が立ちはだかる。旧知である朴氏と安倍氏はどのような日韓関係を目指すのか。2013年の日韓が面白くなってきた。(久保田るり子)

【関連記事】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆経済が沈み始めた? 韓国、再び「日本に学べ」の動き
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/worldecon/607400/
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 ■安倍晋三氏にほほ笑んだ朴槿恵氏

 領土や慰安婦問題では「妥協しない」と原則論を強調し、韓国流「正しい歴史認識」の共有を日本にも求めている朴槿恵氏。朴氏はどんな対日観の持ち主なのか。その真意が伺えるエピソードがある。

 2006年3月、日韓関係は韓国・盧武鉉政権と日本・小泉政権の間で小泉氏の靖国神社参拝問題などで最悪だった。朴槿恵氏はこの時期にあえて野党党首として訪日した。

 小泉氏と会談した朴氏は「盧大統領は感情的に対応し、日本との対話を断絶してしまった」と盧氏を批判し、「両国は懸案のため未来への第一歩を踏み出せずにいる。(小泉)首相の在任中に日韓間の懸案を解決してほしい」と述べた。

 朴氏は官房長官だった安倍氏とも会談、「歴史問題」についてこんな風に話した。「私は、自分たちの世代で(歴史問題を)何とか解決したいと思っているのです」

 安倍氏は「話し合うことが大切だ」と応じ、朴氏の率直な話しぶりに共感して国際情勢の意見交換に話がはずんだ。そして最後にこう言った。「私とあなたは価値観で一致する部分が多い」。すると朴氏は、「歴史問題以外は…」と安倍氏ににっこり笑いかけたという。

 ■朴槿恵氏の心情は?

 朴槿恵氏が「自分の世代で解決したい」と話した背景には、竹島問題や慰安婦問題の根が日韓国交正常化にあるからだろう。

 日韓交渉(1951年ー65年)で最後までもめた竹島問題は、「解決せざるを持って解決とする」とする妥協案(密約)を持ってようやく妥結した。しかしこの了解は90年代になると韓国側で霧散してしまい、その後は現在に至るまで竹島問題はエスカレートの一途だ。一方の慰安婦問題は、日韓交渉当時には交渉の対象に含まれず、経済協力資金5億ドルとひきかえに韓国が個別請求権を放棄した。だが、90年代に入って韓国側で「日本軍の強制性」が問題化して、日本に「国家による謝罪と補償」を求めてきた。

 朴槿恵氏の在任半ばの2015年、日韓は国交正常化50周年を迎える。だが、竹島、慰安婦でこじれている日韓関係は祝賀ムードにはほど遠い。

 日韓交渉の行われた60年代の韓国のGNPは80ドル以下で北朝鮮の半分だった。父が国土復活の命運を賭けて選んだ日韓国交正常化の道。その結果、残ってしまった「歴史問題」を解決したいという朴槿恵氏の思いは深いに違いない。

 ■朴槿恵キャンプの対日政策案

 来年2月25日の大統領就任式を目指し、朴槿恵次期大統領は政権引き継ぎ委員会を組織して、具体的な政策立案にかかる。その核心メンバーはすでに大統領選挙戦で新政権の政策プランを練った学者、研究者、専門家などの選挙キャンプの参謀たちだ。

 政策アドバイザーによると、対日政策は(1)日韓信頼回復(2)日本からのメッセージに対応(3)外交摩擦は管理する態勢作りーが基本方針で、竹島、慰安婦、靖国神社参拝といった歴史認識に関する懸案のうち、朴槿恵新政権が最も重視するのは慰安婦問題という。

 「本来なら2015年へのロードマップを作りたいところだが、現時点では日韓関係を立て直すことが先決だ。まずは安倍政権の対応を見ている」(アドバイザーの一人)

 安倍次期政権の動きは素早い。大統領選の翌日、朴氏に贈った祝辞には「大局的な観点から日韓両国の関係をさらに深化させていきたい」とメッセージを添えた。さらに21日、特使として額賀福四郎・日韓議連幹事長をソウルに派遣した。

 韓国側は安倍新政権が大統領就任式直前の「竹島の日」(2月22日)をどう扱うかを「試金石」と位置づけてきたが、安倍氏側はこの件も早々と「政府式典は見送り」を発表した。日韓間の話し合いの環境整備は、日本側から着々と進めている。

 かつて朴正煕氏は日韓交渉の終盤の1961年、訪米の往路で訪日し、安倍氏の祖父、岸信介元首相と会談して韓国の復興に協力を求めた。岸氏は国交樹立後に椎名悦三郎氏らと日韓協力委員会を立ち上げている。

 2人の新リーダーは戦後日韓史から現在を俯瞰(ふかん)して新時代を築けるのか。展開が興味深い。

記事元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121223-00000509-san-kr
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ソウル駐在特別記者・黒田勝弘 朴槿恵嬢と安倍氏の「縁」
産経新聞 2012.12.22 03:21 (1/3ページ)[安倍晋三]

◇◇◇父親の朴正煕元大統領(右)と写真に納まる朴槿恵氏

 産経新聞社ソウル支局は京郷新聞社ビルの10階にある。その11階に「正修奨学財団」の事務所がある。「正修」とは朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の「正」と陸英修(ユク・ヨンス)夫人の「修」からきた名称である。

 つまり今回、大統領選で当選した朴槿恵(クネ)さんの両親を記念する財団で、彼女はその理事長を長くやっていて、政治家になる前は週に1回ほど事務所に顔を出していたように思う。当時のいわば唯一の“勤務先”だった。

 同じビルだから時にエレベーターで乗り合わせたり、事務所で何回かインタビューしたこともある。

 当時、文章を書くのが好きとかで、エッセイスト(随筆家)になりたいと、何冊かの随筆集があり、サイン入りでもらった。3年前、筆者が韓国で出版した食のエッセー『おいしいおしゃべり』をお返しの意味で送ったところ、ていねいなお礼の電話がきた。

 彼女はおしゃべりの方ではない。黙ってにこやかに話を聞く方だ。

 軍人出身の父は寡黙な人で知られた。人にじっくり話をさせるタイプで、それを聞いて後は黙って決断という指導者だった。彼女もそれに似ているかもしれない。政治家になった後、周辺やマスコミから「もっと疎通を」と注文されていたのはそのせいだろうか。

 品のある笑顔は実に魅力的で、独身を保ってきたということもあって、筆者は彼女については「パク・クネ・ヤン(朴槿恵嬢)」と言ってきた。もちろん本人にはいわないが…。今や政治家いや大統領として貫禄十分だが、筆者を含め同じ世代の韓国人にとっては今でも「ヤン(嬢)」のイメージである。

 ところで父・朴正煕大統領は1965年、日本との国交正常化を決断したことで知られる。日本の協力で韓国の発展の基礎を築いたが、韓国では反対派から「親日派」と悪口(!)をいわれ続けた。

 彼は当然、日本の政財界要人とは付き合いがあった。しかし60年代から70年代にかけ18年間もトップの座にありながら、日本のメディアとのインタビューはほとんど受けなかった。

 極めて異例な会見の相手の一人は、フジサンケイグループの鹿内信隆議長だった。なぜ産経新聞だったかというと、日本のメディアのほとんどが当時の韓国を「独裁政権下の暗黒社会」と否定的に伝えていたなかで、産経がほぼ唯一、韓国の経済発展と近代化の国造りを高く評価していたからだ。

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 その韓国の経済発展を支援した日本の要人の一人である岸信介・元首相から生前、聞いた話がある。朴大統領は政権初期、岸さんに会ったとき「自分は幕末の吉田松陰、高杉晋作の心で国造りをしている」と語ったというのだ。

 これは岸さんが山口県、つまり長州出身であることを知った上での発言だった。このあたり朴大統領は実に心憎い。

 岸信介・元首相は、近く首相就任が予定されている安倍晋三・自民党総裁の母方のおじいさん(外祖父)である。「安倍晋三と朴槿恵」にはそんな歴史的な因縁がある。日韓は戦後、恩讐(おんしゅう)を超えて国交正常化し、それが間違いなく韓国の発展につながった。これを確認し合えば安倍・朴槿恵時代の日韓関係は何とかなるだろう。(ソウル駐在特別記者)

記事元:http://sankei.jp.msn.com/world/news/121222/kor12122203210001-n1.htm
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(下)「忍耐の人」朴槿恵 困難ではない、新たな対日決断
産経新聞  2012.12.22 10:27 (1/3ページ)

◇◇◇安倍晋三氏と朴槿恵氏

 1979年、父・朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺事件で亡くなった後、朴槿恵には不遇な時代があった。朴体制下でいじめられた野党陣営の闘士、金大中(キム・デジュン)や金泳三(ヨンサム)らが復活し、朴政権のナンバー2だった金鍾泌(ジョンピル)も彼女とは距離を置いた。

 そんな80年代に1度、日本をブラリ訪れたことがある。たしか日本船舶振興会会長で日本財団の創始者である右派の大物、笹川良一の招きだった。その時、京都などを観光旅行した。彼女にとってはいわば“癒やしの旅”だった。

 98年に政界入りした後、平壌での金正日(ジョンイル)総書記との会談(2002年)を含め数多くの外遊をこなしてきた。その中で日本には06年3月、野党ハンナラ党(現セヌリ党の前身)の代表として公式訪問した。

 この時、小泉純一郎首相や安倍晋三官房長官ら多くの日本の要人と会ったほか、日本記者クラブで記者会見して対日観を披露した。

 韓国は竹島問題などで「対日外交戦争」を公言するなど、対日強硬路線の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代の後半だった。小泉の靖国神社参拝などに刺激され、対日感情は悪化していた。日韓関係は冷え切っていた。
               □  □

 朴槿恵は当時、野党代表で1年後の大統領選への出馬を考えていた。したがって対日感情悪化の中での日本訪問は国内政治上、危うかった。

 左派の盧政権や反対派からは、韓国では今なお「売国奴」を意味する「親日派」の悪罵(あくば)を使って、「親日派の娘」と非難されることの多かった彼女にとって日本訪問は重い。しかし「何とか突破口を開きたい」との思いで訪日に踏み切ったという(自叙伝『絶望は私を鍛え、希望は私を動かす』から)。

 この訪日の際の発言が、彼女の最もまとまった対日観である。

 「過去の歴史には確かに加害者と被害者は存在した。その事実に変わりはない。その認識のもとで対話がなされなければならない。対話はしないからといって問題が解決するわけではない」

 「歴史の転機を作っていかなければならない。人が違えばその(対日外交の)方法も違ってくると思う。韓日関係を友邦関係として発展させていくことにおいて、私には私の方法があります」


 記者会見での公式発言だから原則論が中心だったが、靖国神社参拝問題では「隣国の国民感情を配慮した他の成熟した方法を模索する必要がある」と注文している。

 6年前の野党時代の意見だが、朴槿恵の考えがこのままだと安倍晋三には厳しい。しかし「国民感情」は日本にもあるのだから、2人はそのあたりをじっくり「対話」すればいい。

 彼女はこの時、「安倍官房長官とも長い間、話を交わすことができた」と述べているが中身は明らかでない。自叙伝では要人との対話について「歴史問題さえ除けば各分野での考えは一致させられた」と回想している。


 自叙伝では「孫子の兵法」を引用しながら「怒りにまかせて戦えばせいせいするかもしれないが、事をし損じるだけだ。私は戦わないで勝つことがまさに外交の力と考える。他のいかなる国との関係より忍耐が必要なのが、日本との外交だ」といっている

              □  □

 激動を数多く経験してきた朴槿恵は「忍耐の人」である。安倍も「忍耐と
対話」で歴史問題をはじめ日韓の懸案に対処すればいい。そして朴槿恵にとっては、父が日韓国交正常化の際、圧倒的な国内世論の反対を戒厳令で抑えて踏み切ったことを考えれば、新たな決断などそう難しくないかもしれない。=敬称略(ソウル 黒田勝弘)

記事元:http://sankei.jp.msn.com/world/news/121222/kor12122210280003-n1.htm




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