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韓国が守らなかった「竹島密約」

そこまで委員会 『 日韓外交 " 竹島・密約・次の一手 " 01 』
【2012.09.09】
http://www.youtube.com/watch?v=MJ68OQn_5i0


三宅久之の小言幸兵衛から転載

::::::三宅久之 1273755

竹島密約考 前編
2012-08-23 18:47:38

 日韓基本条約締結時(1965年)、竹島(独島)の取り扱いに困った両国政府が、竹島を事実上棚上げする密約を結んだが、韓国側が一方的にこれを破ったことにより、今日の混乱が生じている。当時の事情をいささか知る者として、経緯をはっきりさせておきたい。

 竹島は1951年9月、日本がサンフランシスコ平和条約で独立した時、日本が韓国に返還すべき領土とはされていなかった。そこで、これを不満とする反日の李承晩大統領は李ラインと称する国境線を勝手に引き、その中に竹島を入れたことから領有権争いが始まった。1950年代には、毎日のように日本漁船が領海を侵犯したとして、韓国側に拿捕され、死傷者も続出したものである。

 しかし韓国側では1961年5月、軍事クーデターによって政権を掌握した朴正熙氏が大統領に就任すると、韓国の近代化のために、日韓関係の正常化と日本からの資金の導入を急いだ。これを受けて日本側交渉の窓口は大野伴睦自民党副総裁、韓国側は朴氏の側近、金鐘秘中央情報部長が当たり、日本では交渉経過は逐一外務省に報告され、1962年には大平正芳外相と金氏との間で「大平・金合意メモ」が作成された。ところが間もなく韓国側では金氏が失脚、日本側でも大野氏が死去(1964年5月)、交渉は事実上中断した。

 そこで、池田勇人首相は河野一郎国務相に大野氏の後を引き継ぐよう要請、河野氏はこれを引き受けたものの実質的な交渉役として、元秘書の衆院議員宇野宗佑氏(後首相)を指名、韓国側は金氏の兄の金鐘珞氏(韓一銀行常務)が窓口となって交渉、詰めを急いだ。

 経済協力は総額5億ドル(無償3億ドル、有償2億ドル)で妥結したが、竹島(独島)の領有権問題は両国の主張が平行線で対立、最後まで残った。そこで宇野、金鐘珞両氏は最終的に竹島問題を棚上げすることで合意、「両国は相互に領有権の主張を認め合い、互いに反論する場合には異議を唱えない」との密約を交わし、この密約内容を日本側は河野国務相を経て佐藤栄作首相(池田首相が病気のため64年の東京オリンピック後退陣、同年11月佐藤内閣が発足)に、韓国側は丁一権国務総理を経て朴大統領に報告され、それぞれ了承を得たという。

 日韓基本条約は1965年6月22日に調印されたが、宇野氏は後に私との雑談の中で、当時の苦労話を披露。条約締結後、韓国政府からその労を多として高位の勲章(韓国の修好勲章の一つである光化勲章か?筆者注)を贈られたと自慢気に語った。~後編に続く(24日投稿予定)

記事元:
http://ameblo.jp/hisayuki-miyake/entry-11335890655.html#main

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2012-08-24 16:54:24
竹島密約考 後編

 日韓基本条約交渉時に両国が合意していた、竹島(独島)の領有権問題を「事実上棚上げし、互いに領有権の主張を認め合う」という密約は、韓国でも歴代大統領に引き継がれてきたが、1993年大統領になった金泳三氏には引継ぎがなかった。理由は不明である。そこで金大統領は突然、独島の実質的支配体制を確立するため、接岸施設を設け、軍隊を常駐させ、対空兵器なども装備する要塞化を進め、今日に至った。

 元NHK記者、渡部亮次郎氏は、私よりあとの世代の河野一郎担当だった人だが、乞われて園田直氏の秘書となり、外相秘書官も務めた政界事情通である。彼の著作「竹島『密約』のあった時代」によると、「竹島密約については韓国ではすでに広く知られている」という。それは韓国人ビジネスマンが中曽根元首相からその事実を聞き、韓国の雑誌「月刊中央」(中央日報社 2007年4月号)に発表したからで、それを基に産経新聞が2007年3月20日付、「『密約』の存在、韓国誌が紹介」という見出しで報道している。

 私は「月刊中央」の記事は読んでいないので、渡部氏の著作から引用させてもらった。さらに渡部氏は、韓国側の密約文書は金鐘珞氏が自宅に保管していたが、1980年5月ごろ焼却したとされ、文書は日本側(外務省)にしか残っていないと書いている。しかし政府は、この問題について鈴木宗男衆院議員(当時)が2007年3月、提出した質問主意書に対して「合意があったとは理解していない」と回答、婉曲に否定している。

 以上が私の知る竹島密約の経緯だが、これを書いている今も釈然としないことがある。一つは任期満了が間近になった(再選されることのない)李明博大統領が、なぜ今竹島へ上陸し、石碑まで立て、天皇陛下の訪韓問題についても事実を歪曲して大衆迎合を図るのか。もっともこの見え透いたパフォーマンスでも、李大統領の支持率が17%から26%へ9ポイントも上昇したというから、韓国では依然として反日カードは一定の効果があるようだが。

 二つ目は、ロンドン・オリンピックでも韓国のサッカー選手が「独島はわが領土」と書かれたプラカードをかざして問題となったが、通常領土主権を叫ぶのは、領土を不当に占拠されたと思う側が、占拠している国へ抗議のために声をあげるのではないか。不法不当に実質支配している側がプラカードを掲げ、デモ行進するというのは、よほどのやましさがあるからではないか。

韓国は一衣帯水の間にある友邦で、仲良くしたいとは思うのだが、あのエキセントリックな国民的性癖にはうんざりさせられる。(終わり)

記事元:
http://ameblo.jp/hisayuki-miyake/entry-11336426105.html#main

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平成十九年三月二十六日提出
質問第一四四号
竹島密約に関する質問主意書
提出者  鈴木宗男
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竹島密約に関する質問主意書

一 二〇〇七年三月二十日付産経新聞が、「『竹島棚上げ合意』 国交正常化前 〝密約〟存在 韓国誌が紹介」という見出しで、

 「日韓が領有権を争っている竹島(韓国名・独島)に関し、両国はお互い領有権の主張を認め合い、お互いの反論には異議を唱えないとの〝密約〟があった-と、十九日発売の韓国の総合雑誌『月刊中央』(中央日報社発行)四月号が伝えた。また〝密約〟では、韓国は『独島』での駐屯警備隊の増強や新しい施設の増築はしないとなっていたが、韓国側はその後、この約束を守らなかったとしている。

 竹島問題について日韓双方は、国交正常化(一九六五年)の交渉過程で領有権を棚上げすることで合意していることは、日本では知られている。これは韓国側も日本の領有権主張を一応、了解していたことを意味するが、韓国ではこのことはほとんど知らされておらず、近年は日本に対する一方的な非難、糾弾に終始している。

 韓国マスコミは竹島問題で韓国の立場を支持する日本の学者や研究者などの話は大々的に伝えるが、不利な意見や主張は無視するのが通例だ。今回の報道は竹島問題をめぐる日韓の交渉過程の出来事を客観的に紹介するものとして異例だ。

 同誌によると、この〝密約〟は、国交正常化五カ月前の一九六五年一月、訪韓した自民党の宇野宗佑議員(後の首相)と韓国の丁一権首相の間で交わされた。

 内容は①島については今後、双方が自国の領土と主張することにし、これに反論することに異議は提起しない②韓国が占拠している現状は維持するが、警備隊員の増強や新しい施設の増築などはしない③両国はこの合意を守る-などで、韓国側では朴正熙大統領の裁可を受け、日本側では佐藤栄作首相などに伝えられたという。

 〝密約〟を証言しているのは、日韓国交正常化を推進した金鍾泌・元首相の実兄、金鍾珞氏ら。金鍾珞氏は当時、経済界にいて舞台裏で国交正常化作業を手助けした。竹島問題での対立が国交正常化の大きな障害になっていたため、金氏が『将来に解決する』ということで棚上げ案を出し、合意にこぎつけたという。

 韓国政府は当初、竹島支配については現状維持で目立った動きはしなかったが近年、接岸施設の建設など物理的支配を強めているのが実情だ。」
という記事が掲載されていることを外務省は承知しているか。

二 日本と韓国が国交を正常化した時点で、竹島問題についてどのような合意がなされたか。

三 竹島については今後、双方が自国の領土と主張することにし、これに反論することに異議は提起しない、韓国が占拠している現状は維持するが、警備隊員の増強や新しい施設の増築などはしない、両国はこの合意を守るなどという内容の日韓両国政府の合意が存在するか。

四 現時点の竹島問題に対する韓国の姿勢を政府はどのように評価しているか。

 右質問する。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166144.htm

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「竹島領有 日韓が密約」読売(H19.3.20)
http://www.youtube.com/watch?v=Ogmw5fj5GeM
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竹島はこうして奪われた「日本の漁民を片っ端から収容所に…」
女性自身 2012年08月22日 07:00

'52年1月、当時の韓国大統領・李承晩が「このラインを韓国領にする」と一方的に宣言したのが李承晩ラインだ。その中に竹島も含まれていた。そのときの日本は米軍支配下にあり、主権回復の直前。韓国は、日本がまともに抗議できないことを見越したうえで竹島を奪ったのだ。

「翌’53年から日本漁船の徹底的な拿捕が始まりました。その数は、李承晩ラインが廃止される’65年までに233隻、計2千791人に上っています。当時の韓国は、日本との国交正常化交渉を有利にする外交カードとして、日本漁船を拿捕・抑留したのです。要は日本の漁船員を人質にした『人質外交』で、北朝鮮の拉致となんら変わりありません」(拓殖大学国際学部・下條正男教授)

人質を取られた日本政府は、漁船員を早急に救出するため、条約交渉で大幅に譲歩する。それは、抑留生活が悲惨を極めたからだ。’53年2月に開かれた国会の小委員会で、帰国した漁船長がこう証言している。

「留置場は一部屋4畳半くらいで部屋の隅に便所があり、朝鮮人と一緒にぶち込まれた。多いときは一部屋10人、全部で80人位上もいて寝ることもできなかった。なかには苦しさのあまり、便所から逃げようとして、便所の中を泳いだ者もありました。食事は丸麦1合くらいを1日2食、おかずは大根の葉っぱの塩漬けを毎日毎日73日間も食わせられ、栄養失調になり20日くらい入院した人も……」

山口県萩市に越ヶ浜、玉江浦という2つの漁港が並んでいる。当時、いずれも人口2000人くらいだったが、2つの漁港から合わせて144人もの漁民が拿捕されている。そのころ越ヶ浜漁協の職員だった井町満さん(83)が証言する。

「当時の越ヶ浜の漁船は総数40隻くらい。そのうち15隻が拿捕されたんですから影響はたいへんなものでした。生死もわからんですし、借金で建造した漁船がどうなるかという心配もあった。結局、この港の漁船は1隻も戻ってきませんでした」

日本に残された家族の生活は、働き手を奪われ、とたんに困窮した。抑留中に計5人が死んだし、一家離散したケースもあったという。韓国による竹島の実効支配は、こうした国際法違反の積み重ねで進んでいったのだ。

記事元:http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/flash/5244

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http://www.jaas.or.jp/pdf/55-4/7.pdf#search='『竹島密約』'





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