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朝鮮女子挺身隊の存在を悪用する韓国!

ブログ 「立ち止まって、慰安婦騒動を考えてみる」から 
12歳の従軍慰安婦
【92年東亜日報】
http://hazama.iza.ne.jp/blog/entry/1691895/

・朝鮮女子挺身隊 967295
※ この写真は2007年に韓国の新聞に掲載されたもの。キャプションには名古屋へ働き手として送られた女子挺身隊の12歳から16歳の朝鮮人少女たちと書かれており、慰安婦にされたとは書かれていない。しかし、一番上にはcomfort womenの文字が・・・。


◆こころの独り言
そもそも女子挺身隊は、銃後の守りの精神で、日本国民が一丸となって後方支援として働いていた。当時は朝鮮も日本国内と同じ扱いだったので、朝鮮も協力の意味で参加したのだと思う。無理矢理に連れてこられたのではないことは言うまでもない。
しかし形勢が逆転すると、直ぐに寝返ってしまうのが韓国人らしい。そして真実とは裏腹に、仕方なく嘘の証言しなければならないことになる。

しかし、こんな曖昧なキャプションにでも、隙あらば日本の足下を掬ってやろうとする韓国人は、「慰める女たち」と解釈すれば従軍慰安婦の証拠写真として、女子挺身隊=従軍慰安婦として宣伝利用できる。
そのことで、元朝鮮女子挺身隊の人達は真実とかけ離れた噂の元で肩身の狭い不幸な人生を歩んだとも言える。
元を正せば、日本悪しとか考える、韓国人の民族性が犠牲者を作り出したのではないのだろうか?

朝鮮戦争でも日帝時代の良さを、取り入れて従軍慰安婦を兵士(アメリカ、朝鮮兵士)のために設置。
女子挺身隊と偽り、従軍慰安婦として無理やりに連行したという。これらすべての悪行を、日帝時代にすり替えられたようである。その時に強制連行された元慰安婦も日本軍に強制連行されたと嘘の証言までさせられたといわれる。

以下に記されている12歳の「挺進隊員」の記事を読めば、日本人として韓国、朝鮮人の蛮行民族の言う「嘘」に、激しい怒りが込み上げてくる。
このままでは、日本人の誇りと真実が闇に葬られてしまう危機感で胸が震える。

         ・・・・・・・・・・◇◆◇・・・・・・・・・・

戦前のソウルで小学校の教師をしていた女性が、女子挺身隊として富山の工場へ送り出したまま消息が分からずにいた教え子(当時、小学校6年生)の安否を気にかけ、退職後行方を捜していた。めでたく無事を確認することが出来たという話だったのだが、韓 国では違った風に報じられ騒ぎに発展した。宮沢 首相が訪韓して謝罪する数日前の出来事であった。有名な話だが、あえて紹介する。

             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

12歳の「挺身隊員」

本当に天と人が共に憤怒する日帝の蛮行だった。人面獣心であるとか、いくら軍国主義政府が戦争を遂行するためだったとしても、このようなまでに非人道的残酷行為を敢えて行うことができたのかといいたい。

この間、われわれは日本軍の従軍慰安婦として連行されすさまじく蹂躙された「挺身隊員」たちの痛みと悲しみを漠然とだけわかろうとしてきた。しかし、12歳の小学生まで動員、戦場で性的玩具にして踏みにじったという報道に再び沸き上がってくる憤怒を抑えがたい。[・・・]

開放前、ソウル芳山国民学校6学年2組(女子クラ ス)に在籍中だった6人少女が挺身隊に連行された事実は本当に衝撃的だ。このうち5名が当時、年齢が12歳に過ぎなかった。これまで15歳の少女が挺身隊に動員されたことは知られていた。しかし、12歳の幼い子供まで連行されたことは初めて明らかにされたことだ。

当時、この学校に勤務して彼女らを挺身隊に送った日本人担任教師池田(68・女)は「勤労挺身隊」に送ったと話している。池田の話の通り日帝は幼い子供らとその父母に「皇国臣民」として勤労挺身隊に行き報国しなければならないと説得したのだろう。

しかし、それは真っ赤な嘘だった。勤労挺身隊という名前で動員された後、彼女らを従軍慰安所に回した事実が様々な人の証言で立証されているからだ。池田が罪責感のため韓国の方向の空を眺めることができないまま独身で暮らしてきたと話すことをみても、池田は勤労挺身隊の正体が何かよく知っていたのだろう。[・・・]

このように何もわからず父母のもとを離れ挺身隊に連行された少女らの数はわからない。泣き叫ぶ女性をなぐりつけ乳飲み子を腕から奪って赤ん坊の母親を連行したこともあった。このように動員された従軍慰安婦が8万~20万名と推算される。[・・・]

われわれの恥部でもある挺身隊問題を繰り返し考えたくない。日本が日帝のこのような残酷行為を本当に恥ずかしく感じ人道主義に従いこの問題を清算するように促すものだ。

東亜日報1992年1月15日 (訳:西岡力 「よくわかる慰安婦問題」)

             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この騒動の中、西岡は最初に記事を書いた記者を探し当て、取材する。

本当に12歳の慰安婦の存在が確認されたのか。私は「小学生も挺身隊にされた」という記事を最初に書いた記者を、探しあてて会った。「連 合通信」の金溶[人偏に朱]記者だ。[・・・]「なぜこんな記事を書くんですか、実際に12歳の女の子が慰安婦になってはいないじゃないですか、セックススレイブだといっせいに書かれている。これは、あなたの記事だけで言えば誤報じゃないかもしれないけど、誤解されることが分かっていながら書くということ自体ひどいじゃないですか」
[・・・]金記者はこう答えた。「この6人の児童が慰安婦でなかったことは知っていたが、まず勤労挺身隊として動員し、その後慰安婦にさせた例があるという話も韓 国内で言われているので、この6人以外で小学生として慰安婦にさせられた者もいるかもしれないと考え、敢えて、『勤労挺身隊であって慰安婦ではない』ということは強調しないで記事を書いた」 (よくわかる慰安婦問題 P.45)


ブログ 立ち止まって 慰安婦騒動を考えてみる
一教師の悔悟が「強制連行」にすり替わるまで
2010/12/03
http://hazama.iza.ne.jp/blog/entry/1947865/

・工場に動員される女学生(日本人) 1186973

※ 工場に動員される女学生(日本人)


日本人の善意がどのように利用されるか。当時韓国で教師をやっていた女性が挺身隊に送った教え子の安否を気にかけ韓 国へ消息を尋ねるという美談(?)が、日帝による慰安婦強制連行の傍証にすり替えられた(後半の韓 国の東亜日報の記事は以前のエントリーで紹介したものである)。

12歳の教え子を騙して慰安婦として戦地へ送ったと紹介された日本人女性。しかし、その告白は韓国の新聞が伝えた内容とは似ても似つかないものであった。そして、彼女もまた尹貞玉から挺身隊の一部は慰安婦にされたと教えられ、それを真に受け苦悩をさらに深めていたのだった(朝日新聞のこの連載は1991年頃のもの)。

         ・・・・・・・・・・◇◆◇・・・・・・・・・・

 韓国で生まれ育ち、教師になり、まだ11歳のあどけない教え子の少女たちを「女子挺身隊」として、富山の工場に送った私は、毎朝、川名記者(朝日新聞)の書かれた「女たちの太平洋戦争--韓 国」を、何回も何回も読み返しました。

私の場合、6年生になった喜び、女学校受験への希望と不安に包まれている少女たちを軍需工場へ送れという命令がきたのです。私は、毎晩、家庭訪問しました。親子喧嘩もあったようです。そうして6人の児童が海を越え、富山へ行きました。

私は無知でした。敗戦で5人の帰国は確かめましたものの、あとからいった一人の消息がつかめず、私は46年間「ごめんね、ごめんね」と、出発時の少女の面影に詫び続けました。

本紙の小さな記事のご縁が、心やさしい方々をつないで下さって、今夏、ある民放テレビが私をソウルへ連れて行って下さいました。消息不明の少女は元気で、5人の子の母になっていました。しかし挺身隊にいったことは、夫にも子どもにも隠していたのです。

この運動にすべてをかけていらっしゃる尹先生(尹貞玉 梨 花女子大前教授)のお宅に伺った時、「挺身隊に応募した人のうち、少し年長の人は従軍慰安婦に送られたのよ」とお聞きして、びっくりしました。知らなかったのです。従軍慰安婦の方々の苦しみを・・・・・・。

そうして教え子たちのこの46年間の苦悩を。小さな力ですが、従軍慰安婦の方々のことに取り組む決心をしました。

70の手習いですが、ハングル講座にも申し込みました。植民地支配者の私たちはハングルが出来ないのです。

・・・アムネスティの集会で南アフリカのことを学ぶたびに、アパルトヘイトと同じことを自分がしていて気がつかなかったことを思うのです。・・・

奈良 県生駒市 池田正枝(無職・68歳)女たちの太平洋戦争③

         ・・・・・・・・・・◇◆◇・・・・・・・・・・

・尹貞玉は、勤労動員された少女が慰安婦にされたと語っていた

※ 90年代に「慰安婦の強制連行」を広めたのは、尹貞玉と吉田清治。尹貞玉は、勤労動員された少女が慰安婦にされたと語っていた。

この元教師が知らなかったのも無理もない。「挺身隊に応募した人のうち、年長の者は従軍慰安婦にされた」などという事実はないからだ。
しかし更に悪いのは、韓国ではこの話に尾ひれがつき、まったく違う話にすり替えられてマスコミを通じて拡散していったことだ。池田は、少女たちを騙して慰安婦として送り出したことにされてしまうのである。池田が独身であったことすらも、その証拠だというのである(事件の顛末については、12歳の従軍慰安婦【92年東亜日報】 を参照)。

         ・・・・・・・・・・◇◆◇・・・・・・・・・・

本当に天と人が共に憤怒する日帝の蛮行だった。人面獣心であるとか、いくら軍国主義政府が戦争を遂行するためだったとしても、このようなまでに非人道的残酷行為を敢えて行うことができたのかといいたい。

この間、われわれは日本軍の従軍慰安婦として連行されすさまじく蹂躙された「挺身隊員」たちの痛みと悲しみを漠然とだけわかろうとしてきた。しかし、12歳の小学生まで動員、戦場で性的玩具にして踏みにじったという報道に再び沸き上がってくる憤怒を抑えがたい。

・・・当時、この学校に勤務して彼女らを挺身隊に送った日本人担任教師池田(68・女)は「勤労挺身隊」に送ったと話している。池田の話の通り日帝は幼い子供らとその父母に「皇国臣民」として勤労挺身隊に行き報国しなければならないと説得したのだろう。

しかし、それは真っ赤な嘘だった。勤労挺身隊という名前で動員された後、彼女らを従軍慰安所に回した事実が様々な人の証言で立証されているからだ。池田が罪責感のため韓国の方向の空を眺めることができないまま独身で暮らしてきたと話すことをみても、池田は勤労挺身隊の正体が何かよく知っていたのだろう。・・・

東亜日報1992年1月15日 (訳:西岡力)

         ・・・・・・・・・・◇◆◇・・・・・・・・・・


こういうパターンは実に多い。日本人の善意が巧く利用され、反日の着火剤に化ける。それが日本側に反発を生み、一層韓国の反日を加速させるという悪循環。例えば、元兵士が慰安婦の境遇に同情的な証言をすると、それを「日本軍が20万人のアジアの女性を誘拐した」証言にすり替えられてしまう。

にもかかわらず、日本には日韓の間に真の和解が成立しないのは日本人の反省(善意)が足りないからだと本気で信じている人々が少なくない。







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