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大阪戦争!勝てば官軍、負ければ賊軍

当時1960年までのM社は、製品力と宣伝力で、全国的に知らない人のないくらい有名で特に
「七●の飴 ●●糖」や「●ターボール」の人気が高かった。

そのM社が先頭にたって、キャンディー業界全体の立場を優位にするために、トップが集まり話し合って、
仕切り価格の切り上げを計り合意した。

そして、キャンディーメーカー各社は、足並みを揃えて一斉にスタートする筈だった。
ところが・・・・・・
な~んとS社だけは、スタートから逆走した!

合意した仕切り価格ではなく、今まで通りの価格で出荷!
更に、キャンディー業界では採用していなかった、
今言う所の、リベート(裏金)をだすという暴挙に出た。

かなり計画性を感じる。
S社は、味方をだます為に、話し合いでは合意し、始めから出し抜く計画を立てていたとしか思えない。
これは駆け引きではない、だまし討である。

反対であれば、話し合いに合意しなければ良い。
反対であれば、話し合いに加わらずに、独自の路線を歩めばいい。

S社は、おそらく会合の内容を、元卸に内通して、合意の前に元卸と結託し、
多くの問屋を抱きこみに成功! 勝ちを確信したのであろう。
しかしこの行為は、商人として恥じるべき行為だと思う。

M社だけが、同業者を信じて、合意した通りに実行に移し、
N社を始め、他のメーカーは、風見鶏となり、様子をうかがうという行動に出た。
結局、情勢を判断して元の価格で出荷した。

この価格革命の犠牲になったのは、皆を信頼していたM社であった。

しかし世の中、勝てば官軍、負ければ賊軍になる。
そんな事件があって、その後、鉾先はM社に集中した!

その後M社は各問屋にそっぽを向かれ、
特に元卸には、全く相手にもされず、先輩セールス達は、
正常な営業活動ができない状況であったと思う。

S社の裏切り行為により、M社は大きな痛手を被ってしまい、
そして、元卸を始め問屋の多くは、裏切り者のS社に味方した。

M社はますます孤立せざるを得ない状況に追い込まれ、数ヶ月後、
M社も元の仕切り価格に戻さざるを得なかった。

S社は、元卸を味方にして勢いづき、
機動力を活かし全国の菓子問屋の移動販売を開始した。

この時点で、M社とS社の元卸に対するリベート条件の格差は、5%~10%の開きがあった。
当然のことだが、卸元は利幅のあるS社の商品を優先に
販売するようになる。

そして、
売上に応じて観劇ご招待というオマケまでも付ける。
その他にも卸元の地域セールス担当者に特別条件を
出していたようである。
その条件を活かして元卸は3%~5%引きで仲卸や大型スーパーに販売して、
S社の商品シェアを大きく広げて行った。

この時期が、大阪キャンディー業界の戦国時代と言っても過言ではないと思う。

これまで首位だった風雲児(信長)M社は、謀反人(光秀)S社が、本能寺の変の様相を呈して、
首位の座を奪ったのに似ている。
しかし、M社の意思を継ぐ、秀吉の存在は出現しなかった。

この本能寺の変以来、M社Y社長は家康に生まれ変わる。

そう言えば、Y社長は少したぬきっぽい顔と体型だった。(狸の置物を連想・・・笑)

つづく
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