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朝鮮半島の韓国人、朝鮮人の蛮行

韓国、朝鮮人による、日本人虐殺事件
「和夫一家殺害事件」


これは創価学会SGI池田名誉会長が書き残した一編の詩である。
世界平和へ 池田名誉会長の写真紀行
第13回 ソウルの迎賓館


愛の国、美の国、文の国、その平和な人々が、
「何十世代の後までも忘れぬ」と、怒りを骨に刻んだ相手が、
日本の残虐な国家主義であった。
行く先々での略奪、暴行。殺戮(さつりく)、
「禽獣(きんじゅう)にも劣る」
文化なき「悪鬼(あっき)」と呼ばれた。

その夜更け、迎賓館の青き屋根屋根を、
銀色の半月が照らしていた。
この美しい国を踏みにじった日本の傲慢への憤怒(ふんぬ)が、
また、胸を突き上げてきた。

私は、父から「日本のやりかたはひどい。日本はもっともっと韓国を大切にしなければいけない」と聞かされて育ちました。

(1998年11月4日 聖教新聞 韓日友好を誓い「創価同窓の集い」)

これをどう解釈するかはご自由ですが、韓国、朝鮮人の大半が反日教育で歪んだ教育を受けた性だろうと思うが、この時の池田氏は戦前戦後にかけて父親から「日本のやりかたはひどい。日本はもっともっと韓国を大切にしなければいけない」と聞かされて育ちました。・・・と述べているが祖国に帰ると、その憎しみが、事実よりも増幅して感情が湧き出ているようだ。
父親が知っているのは、日韓併合時代(日帝時代)の朝鮮半島の筈だ、しかし父親の言うように、日本軍が朝鮮半島へ侵略した訳ではない。朝鮮とは戦争なんかしていない。なのに日本軍は行く先々での略奪、暴行。殺戮(さつりく)、「禽獣(きんじゅう)にも劣る」文化なき「悪鬼(あっき)」と呼んでいる。
間違っても軍規厳しい大日本帝國陸軍にそういうことはない。併合時代は治安もよかった。
むしろ朝鮮共産党や中国国民党の悪行を日本軍隊に擦り付けたのではないのか、そんな残虐で禽獣にも劣る文化なき悪鬼と呼ぶに相応しいのは韓国、朝鮮人のことを言うのではないか?


今から5、6年前のこと、朝鮮半島での韓国人の蛮行の記事をネットで読んで気分が悪くなったことを覚えている。
それから、このブログを書くようになって探しても分からなかったのですが、先日偶然見つかった。

韓国、朝鮮人が如何に残虐で禽獣にも劣る民族かを知る上で貴重な資料です。

2002年に、韓国で出版された本で、邦題が「親日派のための弁明」という本があります。著者は、金完燮(キム・ワンソプ)という人です。この本は、韓国で有害図書の指定を受け事実上発禁処分となりました。
この本の中に、「キム・ソンス君の証言」という実話があります。以下の事件に加わった、キム・ソンス少年(当時)が、後年、告白した実話です。

終戦後の朝鮮人、韓国人の蛮行
http://www.youtube.com/watch?v=xH97cwFZvxE&feature=related


韓国人は日本統治時代が大好き 平成22年9月11日


http://www.youtube.com/watch?v=PzkuTHE2Y84&NR=1&feature=endscreen

朝鮮・韓国人による日本人虐殺事件-
「和夫一家殺害事件」


rx178の最近気になる朝鮮半島 から転記
http://chosonnews.txt-nifty.com/han/2004/06/post_49.html

金完燮『親日派のための弁明』の未翻訳部分

隕ェ譌・豢セ縺ョ轤コ縺ョ蠑∵・縲?132075064826413209656_convert_20120131000158

私も日本語訳本は読みましたが、このような未翻訳部分が存在することは知りませんでした。かなり長いですが以下に引用します。

私は生粋の韓国人だ。でも,韓国人というものがあまりにも情けな
く、えいっと殺してしまいたいときがある。なぜ日本の蛮行は暴くのに,自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか? 日帝時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。
ところが、和夫一家殺害事件のように、韓国人は自分たちの間違いを、日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し、事件を矮小化、隠蔽しようと躍起になっている。
和夫の亡骸は、釜山に大切に移葬され、毎年、日本人の墓参りが絶えない。以下は、和夫夫婦が死んだ日、ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。事件当時、金ソンス君も加害者だったが、殺害行為には同調しなかったそうだ。

~~~~~~~~~◇~~~~~~~~~

 和夫氏は,日帝時代によく見られた,慶尚道地方の日本人地主だった。地主とはいうものの,和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって,乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。

 公務員だった和夫は,政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。そのころの日本は,一種の軍事独裁体制で,政府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。

 当時、朝鮮にいた日本人地主のなかには、朝鮮人の小作人たちから、法の規定以上の小作料を取り立てる、怪しからぬ人々もいたが、ふだんから人情味の厚かった和夫は、小作料を収穫全体の十分の一とし、村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。自分たちの生活が困らなかったので、総督府の法令にしたがって、やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。

 貧しい小作人が食料がないと泣きつけば、喜んで食べるものを分けてやったし、村で誰かの葬礼があれば、家族総出で駆けつけ、食事の支度はもちろん、自ら慟哭して、悲しみを分かちあうこともあった。このように、和夫は人間への温かい愛情をもった真の人間だった。

 また、和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたが、その数は一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども、和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。
和夫の家族は、ふだんこのように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし、彼らは日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害されたのだ。

 その日、まさに万歳の声とともに、太極旗が波のように風になびきつつ、朝鮮人の世がやって来た。
和夫さんが実の子のように育て、東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に、彼の家で教育を受け、育ち、成人した青神は、自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと、和夫君に嫉妬したのか? 
彼がわが子のように年たちが、斧と鍬、スコップを手に、和夫のもとに押しかけた。
そのとき現場にいた金ソンス君は、次のように証言している。

和夫:(穏やかな目で)何でこんなことを、子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ、失せちまえ。

和夫:(怒ったような声で)私が、お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち、みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり、お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは、私もふだんから待ち望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に、なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け、育ててきた結果は、つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら、帰ってやるわ。

A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら,おれたちはどうやって食っていくんだ?)

B:死ね,チョッパリ,シッパルノマ。

 間髪入れず鍬が,和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ庭の奥まったところに引きずっていった。そしてなんと13人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を、強姦しはじめた。(金ソンス君は,この期に及んで自分が止めに入ったら、自分も殺されただろうと言った)。強姦に耐えられなかった彼女は,行為の途中で死亡し、Dは普段お母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、内臓をひきずり出して、まき散らした。

 和夫には、一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは、放課後、家に帰ってきて、両親の身に起こった惨状を見て気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に、近隣住民たちは眠れなかったそうだ。その後、孤児になったヒミコは、食べ物を乞おうと、その付近をさまよったが,朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず、知らないふりをした。結局、彼女は9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時、ヒミコは小学校6年生の幼子だった。和夫の財産は,勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り、この事件は村人たちの沈黙の中、しだいに忘れられて行った。

~~~~~~~~~◇~~~~~~~~~

この文章は、ある読者からの手紙にあったものだが、冒頭、韓国人が反省し作成したものと書かれているものの、「和夫君」、「和夫さん」などの日本的な呼び方が混じっており、最後の部分に朝鮮人に対する軽蔑に満ちた文章(削除した)が含まれていたことなどを勘案すれば,韓国語ができる日本人が書いたものではないかと思う。いずれにせよ,この事件について聞いたことがあるという韓国人も多いことを見れば、実際に釜山地方で発生した事件のようであり、また韓国による植民地被害の主張に対する,日本人の対抗論理をかいまみることのできる珍しい例として、決して重みが失われない文だといえよう。

 振り返って考えてみれば,日本の敗戦後朝鮮半島では、このような殺害劇がたくさん発生しただろうと思われる。日本の無条件降伏以後、北韓地域にはソ連軍がすばやく進駐し、軍政を敷いたが、南韓に米軍が上陸したのは9月中旬だった。したがって、約1カ月程度、南韓地域には無政府状態が続いた期間があった。韓半島には,さまざまな理由で日本人とそれに加担した者たちに恨みを抱く朝鮮人たちが多かったろうし、彼らは日本人を殺し、財産を強奪し、日本女性を強姦しただろうと思われる。

 そして、朝鮮人たちが8月15日、日本の降伏を喜んだいちばん大きな理由は、おそらく、日本の一部として敗戦国の暗澹たる未来をともにするのが嫌だったためではなかろうか。日本統治の最後の期間、特に大東亜戦争が始まった最後の4年間は,日本人はもちろん、日本の統治を受けていた地域の住民たちも、大きな苦痛に見舞われた時期だ。それゆえ朝鮮人たちにとって8月15日は忌まわしい戦争の苦痛から脱することのできたという点で、また日本人たちを殺し、財産を奪える機会が与えられたという点で、とても喜ばしいことだっただろう。

問題は,韓国社会において,朝鮮人によってほしいままにされたこのような虐殺と残酷な行為はまったく知られておらず、また調査されたこともなく、われわれが受けた被害だけは,繰り返し強調されているという点だ。そして日帝統治の期間に受けたとされる被害なるものも,事実よりずっと膨らまされているだろうことは容易に想像がつく。

朝鮮は日本の統治を受け,未開な農業社会から短期間に資本主義工業国へ発展し、高い生活水準を享受してきた。しかし日本が戦争に負けるやいなや、素知らぬ顔で、まるで自分たちが戦勝国にでもなったかのごとく日本を呪詛し、彼らの財産を奪い、虐殺した行為は、明らかに人倫に悖る犯罪行為にほかならない。このようにして日本人をすべて追放したあと、南韓国と北韓国の政府は強奪した日本人の土地と工場を「敵産」と呼び,堂々と山分けした。

もし日本が戦争で勝利したり、少なくとも領土を保全され,休戦にでもなったなら、はたして朝鮮人たちはこのように振る舞えただろうか。おそらく、前よりもっと自発的に日本人であることを主張しつつ、忠誠を尽くしただろう。ところが,戦争に負け,くっついていても別にいいことがないと判断した瞬間、彼らは態度を急変させ日本に仇として接し始めたのだ。

内容にあるとおり、実際に起こった事件であるかどうかは現在のところ不明です。また、これが未翻訳部分である確証もとれていません。そのことは念頭に置いておいてください。
個人的には、ありえない事件ではないと考えています。







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