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M社の将軍 営業部長の結末。

M社の守衛さんから始まり、製造部長となり営業部長となって常務取締役にまで出世したM社の木下藤吉郎。
かつてのM社の発展した時代を牽引したDー51機関車的存在のO営業部長がおられた。日記にしばしば登場するお方である。

俺について来い!という自信満々のタイプで侠気(おとこぎ)があり、話をすれば迫力満点、怒ると笑いを上手く使い分ける人でM社では大将軍と呼ぶに相応しい実に頼もしい人だった。当時は営業部が一致団結していて、この部長にならついていこうと皆んなが真剣に思っていた。
売上不信の時には、営業は工場からつつかれる。営業倉庫には商品の山。そんな時は、日曜日出勤して、移動販売を命じられる。それを指揮したのがO営業部長なのです。

販売課と商品課が十数台の車で一斉に大阪府下全域と阪神間の小売り店に移動販売を仕掛ける。売れた商品は特約店の帳合になる。
いわばメーカーの販売促進ゲリラ作戦である。

私たちも通りすがりの小売店を見つけては、1軒1軒に商品を卸して廻り、積んだ商品が空になるまで走り回るのです。
そして、販売額を競うのです。
同じ菓子業界なので、断られることはほとんない。例え少量でも仕入れて下さる。ありがたいことです。

この時はO営業部長の人徳で、きつい仕事でも誰一人として文句を言う人はいなかった。この時の営業部は一致団結していたのです。

またそれとは逆に、販売が好調で商品の品切れが相次いだ時期もあった。その時は、営業部、事務所関係が工場の生産工程の中に入って手伝うのです。
私達が手伝ったのは、最終工程の袋詰めや計量、そしてケース詰めを手伝った。
後に印刷の仕事で包装、梱包の仕事に役にやったのも、この時ケースにガムテープを如何に早くきれいに貼り付けるかのコツを学んだからだろう。

私が退社して数年後に思いがけないことが起こった。M社の中枢におられたO営業部長がM社を退社されたのです。その訳は書けませんが・・・
私が退社する時に「M社を辞めたら二度と菓子業界には戻って来るんじゃない。」と言われた張本人である。

しかしそのO氏の再就職先が何と同じ菓子業界だったのです。
キャンディーメーカ以外のメーカーならともかく、驚くなかれM社の特約店であり、かつて私が担当していたY社(全国売上トップ)の競合相手の元卸 i 商店だったのです。
私のいた時から、O営業部長は、 i 商店の社長とは、馬が合うと言うのか相当親しくしていて、条件的にも有利に取り図られていたと思う。Y社を担当する私にとっては、少々やりにくいところもあったが、部下のU君の担当だったし販売第一課内のことなので我慢していた。

このことで当然、元卸Y社のM社に対する不信感は拭いきれないだろう。その後どんな展開になったのかは知る由もない。

でもこの再就職は長くは続かなかったようである。

O氏の振る舞いは、私にしてみれば、開いた口が塞がらない。常務取締役 兼 営業部長の重要ポストにいた人が、そんな振る舞いをするのだから?

この人は、言と動が一致していない。本音と建前で世渡りしてきたのか・・・結局自分のためにだけに生きてきた人ではないのだろうか?と考えると思い当たる点が多々ある。

Y社長から見れば、O営業部長の退職は、病むにやまれぬ事情があって自ら右腕を切り落とすという苦渋の決断をされたのでしょう。社長に対して恩を仇で返したことになる。

またこの人のお陰で、「M社の金メダル」とも言える「個人表彰」を2度も逃してしまったのである。

【参照】なぜ私は、個人表彰されなかったのだろうか?・・・その2 その訳は・・・
http://osakacocoro.blog28.fc2.com/blog-entry-106.html




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